核兵器廃絶をめざす数学者の懇談会講演会('01.3.26)

「グローバル化と冷戦後の米国戦略」

武藤一羊氏(ピープルズプラン研究所)

<「シアトルの戦い」の意味>

一昨年十一月から十二月初めにかけて、アメリカ東海岸のシアトルで、画期的な出来事が起こりました。後でお話する世界貿易機関(WTO)がここで閣僚会議を開いて世界経済を徹底的に「グローバル化」するための新しい多角的な交渉をどう始めるかを決めるはずだったのですが、この大事な会議を世界中から集まった数万の人びと、労働組合から、環境運動から、女性の運動、世界中のNGOの人びとが、街頭デモを繰り広げ、ついに流会させてしまいました。「シアトルの戦い」(バトル・オヴ・シアトル)として広く知られています。デモだけでなく会議の内部からも第三世界諸国の代表が、先進国だけで決めた結論を押し付けるやり方に抗議し、それと外の動きが呼応して、閣僚会議をつぶしてしまったのです。三十年位前、日本でもナントカ粉砕!と言う勇ましいスローガンが流行ったけれど、めったに粉砕したことはありませんでした。しかしここへきて世界的な運動の力が、今日の世界の支配の中心部をがたがたにしてしまった。これは世界のありさまの将来にとってひとつの大きな転機になったと、私は思っています。

インドにヴァンダナ・シヴァという精力的な活動家・思想家がいます。彼女はシアトルの教訓の第一は、「グローバル化というものがどんな犠牲を払っても受け入れるほかない不可避的な現象なのではなくて、政治的企てに他ならない、だからそれには政治的に対抗できる」ことを示したことだったと総括しました。WTOとは世界の経済をいわゆる自由市場原理で再編成する機関です。それに逆らったら生きていけない、というイメージで受け止められている。しかしそうではない、経済は政治的なのだ、だから人びとの力で政治的に変えられるのだ、というのです。

<経済のグローバル化>

シヴァは見事に言い当てています。WTOが推進するグローバル化は複合的な世界的権力、世界規模での恐ろしいほどの権力集中を表しているからです。といっても世界国家が作られたわけではない。しかし事実上、経済的支配力を根幹に地球の隅々までを支配する権力が成立しているのです。だから複合的権力であるのです。その中核は、北側先進国やその牛耳る国際機関や多国籍企業や金融グループの連合からなっています。WTOは非常に強力な執行力を備えた中核中の中核と言えるでしょう。WTOは制裁という処罰力を持っている。制裁にかかると世界経済から締め出されますから、これは強制力です。

この世界権力の中では、もちろん米国が、ヘゲモニー国として特別の地位を占めています。超大国であるだけでなく、第二次大戦後は、特権的な地位を与えられています。たとえばドルは一国通貨がそのまま基軸通貨として対外支払いに使えますから、いくら赤字でも外貨危機などは存在しないのです。その周りにヨーロッパ、日本などいわゆる北側先進国が結集している。国家だけでなく、巨大多国籍企業は一社で世界のたいていの南側国家のGDPに匹敵する売上をあげていて、それ自身が経済権力です。その他わけのわからぬ権力集団がいろいろある。「ダボス・フォーラム」というのもあって、世界の政財界の実力者がクラブをつくっている。こうしたお仲間がスイスの別荘地に集まって、世界をどこに持っていくかを毎年議論する。そして世界銀行とか国際通貨基金(IMF)など北側の牛耳る国際機関は、債務国や貧困国の政府の頭を飛び越えて人びとの運命を左右する決定を下している。そういうものが全部複合して、ある同一の論理と思想を共有して、それに反するものを許さないような体制を事実上作り上げているわけです。

この世界権力がグローバル化といわれているプロセス、資本移動と農産物やサービスまで含む貿易の自由化とか、「自由競争」への規制の撤廃とか、いわゆる経済のボーダーレス化を強力に推進しています。WTOでそうした決まりを作って、違反すれば制裁措置をとるという体制を作っている。よくこれを規制撤廃による自由化などと呼んでいますが、それは逆で、資本の完全な自由を保障するための新しい規制の導入なのです。日本でいえば大店法を撤廃し、アウトレットなど大規模量販店を野放しにして、商店街は軒並みつぶれることになっている。弱者と強者とをハンディ抜きに競争させるという規制を逆に掛けているわけです。明らかにこれは強者の利益になるわけで、市場では北側の多国籍企業が制覇するに決まっています。

その結果どうなるか。国連のUNDP(国連開発計画)が毎年出している報告書がありますが、それによると、二〇〇〇年現在、世界人口の上位二〇%が世界GNPの八六%を占め、中位六〇%が一三%、下位二〇%が一%という配分になっています。日本はもちろん上位二〇%に入ります。商品・サービスの消費では、同じく、上位八二%、中位一七%、下位一%です。IT革命が叫ばれていますが、インターネット・ユーザーをとれば、上位九三・三%、中位が六・五%、下位は〇・六%ということになります。これは北側内部の南北を含めた南北格差がどれだけひどいかを示す数字です。この格差は植民地時代から引き継がれたものですが、実は格差は一貫して広がってきているのです。

人口GDP商品サービスインターネットユーザー
上位20%86%82%93.3%
中位60%13%17%6.5%
下位20%1%1%0.2%

UNDPによれば、最貧国と最富裕国との格差は一八二〇年には三対一だったといわれます。それが一九一三年には十一対一、戦後の一九五〇年には二五対一に広がる。「開発」がブームだった一九七三年には格差はさらに四四対一に開き、グローバル化の一九九二年には実に七二対一になり、その後も更に開きつづけています。

18203:1
191311:1
195035:1
197344:1
199272:1

八〇年代には世界権力の側から第三世界の民衆への猛烈な攻勢が掛けられました。債務危機に対してIMFなどによる構造調整プログラム(SAP)の押し付けです。レーガンやサッチャーの規制撤廃、民営化と並ぶグローバル化のはしりです。SAPと言うのは、借金をドルで返済させるために輸出振興と外資導入を至上命令に大手術をやる、政府の補助金を全面的にカットし、公共サービスを切り捨て、貧困者のための農産物価格支持を廃止し、輸入と外国投資への規制を撤廃する、そういうパッケージです。その打撃は貧困層を直撃する。学校と病院、医療サービスなどがバンバン切られる。そして生産を国内市場向けではなく、世界市場向けに切り替える。非伝統的輸出作物などという言葉が作られます。バナナやコーヒーでなく、アスパラとか花とか新しい作物を栽培しろ、そうすれば輸出できる。それをどこでも一斉にやらせるから、値崩れしてだめになる。二年ばかり前ヴェトナムのハノイ・ハイフォン地区の農村を訪れましたが、そこでは誰も彼も中国へ輸出する「すっぽん」を飼っていた。みんながやるから、たちまち値崩れを起こして農家は赤字を抱える。そういう状況が八〇年代以来起こってきていて、今に続いています。

そこで一番ひどい目にあうのは貧しい人びとですが、男性支配の社会の中では重荷はもっとも強く女性にかぶせられます。失職した男が家族を置き去りにしてどこかへ行ってしまう。女性が家族を支えようとするけれど、できずに子どもはストリート・チルドレンになってゆく。ブラジルでは何百万という単位でストリート・チルドレンが生まれました。世界的な格差の拡大と言うのは、こうした状況のことです。

九〇年代というのは何だったか。それはこのようなグローバル化が上から強力に進められた十年でした。しかし同時にそれはNGOが国家と並んで有力な国際的なアクターとして出現し、グローバル化の帰結に対抗する戦線を作った十年でもあります。圧倒的に優勢なのはグローバル化の力のほうでした。この時期、国連は環境、人権、社会開発、人口、女性など巨大会議を次々に開き、NGOはその中で国家と国連のパートナーの地位を獲得していきます。このプロセスは単純化できませんけれど、概してNGOは国際文書に民衆側の主張を盛り込ませるためのロビー活動に重点を置いていました。そして言葉の上ではNGOの主張を国家間の取り決めに入れさせることにあるていど成功しました。しかしそれを本当に実行させる力はない。現実はグローバル化の論理でどんどん動いていく。そしてその中に飾り物のようにNGOを取り込んでいく、NGOも進んで繰り込まれていく、そういう状況が進んだのです。

シアトルの戦いはこの状況をもうひとつ変える、民衆の連合がグローバル化のプロセスにストップを掛ける突破口になったと思うのです。それ以降、ドイツのケルンで開かれたG7サミット、チェコのプラハでの世銀総会などで大規模なデモが行われてきましたし、アジアではタイの貧民連合が世界銀行の会議に押しかけて大衆団交をやるなど、世界権力構造との対決が活発になりました。そして今年一月、ダボス会議に対抗して、ブラジルのポルト・アレグレという町で、資本のグローバル化に対抗する大規模な「世界市民フォーラム」が一二〇ヶ国の参加で開かれ、二万五千人のデモがおこなわれるという動きになりました。

北側世界のNGOのロビー活動だけでなく、グローバル化に抵抗する女性、労働、環境、農民などの社会運動、そしてメキシコ・チアパス州で立ち上がった先住民の底辺からの運動、それらが大きく合流して、グローバル化にたいして移行する可能性がようやく二十一世紀初頭に見えてきた、そういう状況になっていると思うのです。

<グローバル化とアメリカの軍事戦略>

そこで考えなければならないのが、軍事、特にアメリカの軍事戦略の問題です。アメリカは冷戦が終わって、一九九五年ぐらいから新しい軍事戦略を展開しはじめました。その中で橋本・クリントンの日米共同宣言で、新ガイドラインなどが煮詰められていくわけですが、それは単に対日政策、対アジア政策だけではなくて、冷戦後の世界的軍事戦略の展開の一部でした。冷戦が終わって米国はソ連・共産主義という敵を失い、もう一度その地球的軍事戦略を定義しなおす必要に迫られたのです。そこで生まれた新しい戦略は、三つの言葉で表されます。「形成し、応答し、準備する」(shape, respond, prepare)というものです。Shapeとはアメリカの軍事戦略は世界をアメリカの国益に都合のいいようにあらかじめ「形成」するというものです。「われわれはわれわれの利益がめったに冒されることなく、万一冒された場合、それに応える効果的手段をわれわれが保持しているような、そうした状況を世界に創り出す」つもりだとペンタゴンは言うのです。これが三つの言葉の意味です。「われわれは、どのような決定的地域もわれわれに敵対的な国によって支配されていない世界、米国にとって最も重要な諸地域が安定し平和であるような、世界を求める」と言うのです。米軍の軍事的存在(プレゼンス)はただ軍事的な意味があるだけでない、とも言い、「プレゼンス・プラス」という言葉を強調します。米軍の存在はただ軍事的存在であるのでなく、あらゆる側面でのアメリカの優位を保障し、アメリカの思想と商品の流通を保障するようなすべての活動と関連している、と言うわけです。それがプラスの意味です。このようにして保障される秩序が、先に述べた資本のグローバル化の秩序、そしてそれに重ねられた米国の国益であることは明らかです。

格差が容赦なく拡大していくグローバル化の世界は、恐ろしく暴力的な世界です。これだけの格差を維持していくことは、それ自体が非常に暴力的な過程です。その不平等を解決する出口が見えないとき、水平暴力が生み出されます。グローバル化はいわゆる先進国を中心とする地球的権力による垂直暴力です。それを垂直方向に解決できないときには横に爆発し、民衆集団、個人同士の「内ゲバ」になるわけです。こうした暴力が、日本社会を含めて、いたるところに広がっています。それは特に地域紛争という民衆同士の殺し合いに発展します。その中で一番強力なのは人種主義、民族主義、宗教的原理主義がこれまで一緒に暮らしてきた人びとを分断し、殺し合いをもたらすケースです。そしてこのような秩序の乱れがグローバル化にとって害になると判断されると、アメリカやNATOが「われわれが秩序を維持してやる」と称して出てくるのです。今日の新ガイドライン以後の日米軍事同盟は、日本自衛隊がそうした行動に加わることを前提に組み立てられてきました。

しかし武者小路公秀さんの言葉を借りると、これはマッチ・ポンプだと言うわけです。グローバル化がいたるところで紛争の種をまき、火をつける。火が燃え広がると放火犯が武装した消防車に乗って出動するという関係です。この関係をどう乗り越えるのか、それが人びと自身の安全という点からは最大の課題として浮上しています。それを解くかぎは、グローバル化のプロセスに対して、人びとが横に連合して対抗することにあると私は思っています。

さて、そのアメリカの軍事ですが、その焦点はアジアに移っています。昨年六月には「統合ヴィジョン二〇二〇」という文書(これは「ガイダンス」という性格)、また十月には日本・東アジア太平洋の戦略についてのアーミテージ報告などが出されましたが、それらは、中東とアジアという二つの戦線で同時に戦争を遂行するというこれまでの戦略を変更し、ヨーロッパ正面は棄てて、アジアに集中することを明確にしました。統合ヴィジョンを報道した『ワシントン・ポスト』紙は、すでにヨーロッパよりアジアに攻撃型潜水艦が多く配備されていること、またアジアを焦点により多くの戦争ゲームや戦略研究が行われていることを明らかにしています。

ブッシュ政権になって、米国の戦略はますますアジア重視の姿勢を強めています。クリントン政権は中国を「戦略的パートナー」として「巻き込む」方針をとっていたわけですが、ブッシュはそれをご破算にして、中国を覇権をめぐるライバルと位置付け、台湾への肩入れを強め、昨年劇的に展開した朝鮮半島の自主的解決への動きに強力なブレーキをかける、という政策への転換が進められています。米軍はこの線に沿って再編成されつつあります。ブッシュはこの二月に海軍の会合で演説して、この再編成方針を次のように説明しました。「われわれはミサイルに運ばれてくる脅威に、最新技術を持って立ち向かう。陸上ではわが重量軍隊は軽量化される。軽量化されたわが軍はいっそう大きい殺傷能力を獲得する。空にあっては、世界のどこでも航空機と無人システムでピンポイント攻撃が可能となる。海にあっては、兵器と情報を新方式で組み合わせ、陸上への兵力投入能力を最大化する。宇宙では、わが国の通商の流れと共通利益を防衛するために不可欠なわが衛星ネットワークを守り抜く」。

<結びに>

経済のグローバル化と米国の軍事戦略は密接に関連しているのです。しかし、グローバル化のほうには、世界大で民衆の抵抗の動きが高まってきましたけれど、その中では米国の軍事戦略への関心はまだ低い、というか切り離されているのです。この二つの側面の関連は、国際的な場でもはっきりつかまれてはいないのですが、日本ではまずグローバル化こそが私たちの生活を直撃していることが認識されていない状況にあります。荒れ狂うリストラと失業、削られていく社会保障などは、バブルの処理という角度から片付けられてしまい、それが世界を荒らしまわっているグローバル化の一環であることが見えなくされています。だから日本の問題の解決には、今出現しつつあるグローバル化に対決する国境を越えた民衆の連合に加わっていく必要があることも意識の中に入ってこないのです。恐ろしいことは、小泉政権の一枚看板である「構造改革」が、グローバル化の必要にあわせて、民衆を犠牲にする企てであるのに、八〇%もの人びとが、ハメルンの笛吹きに従う子どもたちさながら、嬉々として小泉に従って奈落への行進に加わっていることです。小泉の「構造改革」と、集団安全保障、有事立法、右翼的教科書、そして憲法改定などをめぐる企ては、ちょうど経済グローバル化と米国の世界戦略がコインの裏表であるように、表裏一体なのです。

その双方にノーと言う立場をしっかり確立することが急務です。

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この文章は、三月二十六日、日本数学会年会の際に開かれた核廃絶を求める数学者懇談会主催の講演会での私の講演を福富節男さんがテープから起こして下さったものを、約半分に縮め、多少加筆したものです。福富さんへの感謝をこめて。

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以上の原稿は、講演後、「市民の意見 30 の会・東京ニュ−ス」 66 号に掲載されたものです。